吉江藩館跡

吉江藩館跡は、福井県鯖江市吉江町弁天橋北にある。
碑文には、次のように記されている。
  碑 文
松平昌親公は福井藩三代藩主 忠昌公の三男である。
正保二年 越前藩の内二万五千石を以って分封せられ 慶安元年十二月三日 立町の里に館を建設することを許可された。
明暦元年六月十一日 吉江邸に入られた。吉江町の誕生は実にこの時である。
延宝三年 福井藩四代藩主 光通公逝去されるに当り 福井藩五代藩主となり吉江藩は福井藩に合併された。
吉江藩の存立は十九年余であったが 公は帰藩後も吉江町の発展の為意を注がれ 税の減免 産業の興隆など 善政を以て臨まれた。
其の後 吉江町は丹南地方の政治経済の中心地として栄えた。
福井藩主 光通公より遣わされた家臣四十数名中禄高三百五十石 木久森斉は江戸時代中期の文豪 近松門左衛門の厳父である。
近年都市化が進み 故郷の変貌は日をおって激しく この儘に過すならば 先人の事跡も亦完全に埋没する事必然である。
茲において 九区の住民の総意に依り 吉江藩館跡碑を建立し顕彰する。

正保2年(1645)に松平昌親公が分封された時は、まだ6歳であった。
そのため養育係としてお付きの人が19名任命された。
この中に、近松門左衛門の父 杉森信義の名前がある。
昌親公が元服し、吉江に入部したときに、杉森信義も吉江に入った。
当時3歳の近松門左衛門も父と共に吉江に来ている。
吉江の名前のもとは葦が茂る湿地があったので「葦江」と呼ばれていたのが転じて、「吉江」となったといわれている。
(立待近松めぐり④ 吉江藩館跡 参照) → 近松門左衛門ゆかりの地



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