雪見御所旧跡

雪見御所(ゆきみのごしょ)旧跡は、神戸市兵庫区雪御所(ゆきのごしょ)町にある。
元湊山小学校北側の歩道脇に石碑が建てられていたが、小学校跡にみなとやま水族館が整備されたため、東向きに移されている。
太政大臣を辞して出家し、福原に別荘を構えた平清盛(1118-1181)は、亡くなる前年までの14年間をこの地で過ごし、大輪田泊りを改築し、経ケ島の築造、日宋貿易の拡大などを進めた。
治承4年(1180)6月、平清盛は3歳の孫である安徳天皇を奉じて福原遷都を図ったが、都づくりは中途で頓挫し、11月後半に平安京に還都したため、実態としての都は完成しなかった。
福原京は平家が落ちのびる際にすべてを焼き払ったため、正確な場所はわかっていないが、近年神戸大学附属病院構内の発掘調査で二重堀の遺構が発見され、話題となった。
「平家物語」によると福原にはいくつかの平家の邸宅が存在したと記されている。
その一つが雪見御所で、東の天王谷川、西の石井川に挟まれた元湊山小学校を中心とする一帯の字名 雪御所の地にあったと考えられている。
昭和61年(1986)の湊山小学校の校舎建築に伴う発掘調査では石垣が確認された。
一般的に、貴族の邸宅は敷地の北寄りに建てられ、南に庭園を配することが多い。
そのため雪見御所の南を画する石垣、またはそれを踏襲する字境の石垣と見られ、邸宅の建物は元小学校の敷地の北に位置していたと考えられている。
「雪見御所舊跡」の石は、明治39年(1906)に湊山小学校の校庭から掘り出された。
往時の御所の庭に使用されていたと考えられる石に、湊山小学校三代校長 篠崎三郎氏が、生田神社宮司 田所千秋氏の揮毫を得て、明治41年に設置したものである。
当地から約200m東の平野交差点には、平清盛之像が建てられている。→ 平清盛ゆかりの地
JR山陽本線神戸駅からバスで平野下車、徒歩5分。みなとがわ水族館の駐車場がある。



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