安房花房 西尾家供養塔は、和歌山県高野山奥の院34町石南西にある。
織田信長墓所の北西側で一段上に登ったところに位置している。
史跡金剛峯寺境内(奥院地区)大名墓総合調査報告書によると、当地墓所には、中型五輪塔3基、小型五輪塔3基(うち1基は倒壊)、屋根付墓標1基、宝篋印塔1基がある。
石塔の概要は次のとおりである。
写真番号 | 供養者名 | 没年 | 法名 | 備考 |
① | 武蔵原市藩初代藩主 西尾 吉次 |
慶長11年 (1606) |
淨徳院殿 天翁梵長大居士 |
西尾忠永が建立 |
② | 武蔵原市藩2代藩主 西尾 忠永 |
元和6年 (1620) |
清光院殿 月海□雲居士 |
宝篋印塔 正月十四日 |
③ | 西尾丹後守 御簾中 除光院 |
寛永15年 (1638) |
除光院殿 簾室明公大姉 |
|
④ | 西尾吉次室 | 慶安元年 (1648) |
養福院殿心譽 光照淨信 |
|
⑤ | 常陸土浦藩2代藩主 駿河田中藩初代藩主 西尾 忠照(忠昭) |
承応3年 (1654) |
圓明院殿恕翁良忠 大居士 |
西尾右京(忠成)建立 |
⑥ | 西尾右京(忠成)の祖母 正壽院 |
万治元年 (1658) |
正壽院殿 秀譽貞心大姉 |
西尾右京(忠成)建立 |
⑦ | 西尾忠永の子 西尾忠照(忠昭)の弟 西尾 忠知(ただとも) |
延宝3年 (1657) |
高山良英 智定門覚位 |
西尾氏は、清和源氏頼信流で、頼信の次子頼清の孫 清景(きよかげ)が丹波国に下向し、その15代後裔 光秀の代に三河国幡豆郡西尾(現愛知県西尾市)に移住して、西尾氏を称したのに始まる。
その孫 吉次は、東条吉良持広(もちひろ)の子で、西尾氏を相続して、安房国花房藩の祖となった。
その後西尾家は、吉次ー忠永ー忠照ー忠成ー忠尚ー忠需ー忠移ー忠善ー忠固ー忠受ー忠篤(花房藩)と続いた。→ 遠江横須賀藩 西尾家供養塔
TOP PAGE 観光カレンダー
TOP PAGE 观光最佳时期