播州姫路 本多家供養塔は、和歌山県高野山奥の院30町石西にある。
当地墓所には、大型五輪塔が2基建立されており、向かって左が光雲院殿(本多政勝生母)、向かって右が成正院殿(本多政勝正室)の供養塔である。→ 周辺石塔の案内
光雲院殿の五輪塔地輪には、次のように刻されている。
生國三州(異体字)今者和州郡山之城主
本多内記御母儀成□□□□
光雲院殿松誉
(梵字)爲
珠慶□大姉
旹寛永十九□□七月□□
成正院殿の五輪塔地輪には、次のように刻されている。
和刕郡山之城主本多
内記政勝公御簾中愛
成正院殿心誉
(梵字)爲
玉寶清安太□
追善也
正保二天乙酉三月六日敬白
本多政勝は、播磨姫路藩の第三代藩主で後に大和郡山藩初代藩主となった。
寛政重修学諸家譜によると、有馬左衛門直純の娘を正室とした。
宮崎県史資料編近世1所収の「藤原有馬世譜」に、有馬直純の二女 熊子について、次のように記されている。
一 御二女熊子、御母 上に同し(日向夫人)、和州郡山の城主本多大内記政勝に嫁して男子三人を生む
嫡子本多八郎兵衛勝行、二男出雲守政利、有故明石六万石改易、水野監物へ御預、岡崎にて卒去、三男肥後守忠英と云
正保二年乙酉三月六日卒去、江戸深川霊巖寺寺中雲光院に葬り、法名を成正院殿心譽清安大姉と号す
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