豊後 岡 中川家供養塔(参道南側)は、和歌山県高野山奥の院にある。
豊後 岡 中川家墓所の標柱は、奥の院28町石と29町石の間に、2か所建てられている。
1か所は、参道北側で、日州佐土原城主松厳院供養塔の西側にあり、もう1か所は参道南側で、安芸浅野家供養塔(振姫供養塔)の西側にある。
供養塔前には、名曲 荒城の月と記された案内柱がある。
作曲をした滝廉太郎は、竹田市の小学校に通学したことがあり、竹田市の岡城跡から荒城の月の曲の着想を得たといわれる。
玉垣内に4基の大型五輪塔があり、西側(写真向かって右側)から、
6代 久忠(通玄院殿雲外了山)、
2代 久盛(法臺院殿心鐵宗安)、
女性(光顕院殿心連社専譽普□傳□)
5代 久通(天眞院殿元良貞山)、
の各供養塔である。
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