安芸浅野家供養塔(二番石)

安芸浅野家供養塔(二番石)は、和歌山県高野山奥の院29町石南にある。
浅野長晟夫人の振姫の五輪塔で、奥の院の五輪塔の中で二番目の大きさで「二番石」と呼ばれる。
振姫(1580-1617)は、徳川家康の三女で、天正8年に生まれた。母は、お竹の方である。
文禄4年(1595)会津若松城主蒲生秀行と結婚したが、慶長17年(1612)秀行と死別した。
元和2年(1616)に当時の紀伊和歌山藩主浅野長晟(ながあきら)と再婚して、光晟(みつあきら)を生んだ。
元和3年8月29日38歳で死去した。当地の五輪塔は元和4年8月29日に浅野長晟によって建立された。
元和5年(1619)福島正則の改易により、浅野長晟は安芸国、備後半国42万6千石に加増されて、広島城主となった。
紀伊国名所図会には、次のように記されている。
〇 二番石塔
  同上。浅野候の碑なり。其大(そのおおき)さ一番石塔に次ぐを以て號(なづ)く。

五輪塔地輪前面には、次のように刻されている。
   大施主浅野但馬守長晟造立拵
      御簾中之追善也
         奉為正清院殿
  (梵字ア) 泰譽興安大禅定尼
         出離生死頓證菩提
      上達法身下及六道
   豈元和三年丁巳八月二九日

振姫(正清院)は和歌山城下の吹上寺で火葬され、墓所は、京都の金戒光明寺につくられ、後に広島の正清寺に改葬された。→ 金戒光明寺の正清院(振姫)供養塔
元和7年(1621)には、紀州藩初代藩主 徳川頼宣(家康十男)が、姉の振姫(正清院(しょうせいいん))の遺骨を、吹上寺から懐岳山正清院光恩寺に改葬した。
奥の院32町石南には、浅野長晟の五輪塔(安芸浅野家供養塔)がある。



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