光恩寺

懐岳山正清院光恩寺は、和歌山市にある浄土宗の寺院である。
本尊は阿弥陀如来である。
天正18年(1590)小倉郷の津田監物に招かれた信誉が建立し、信誉が自分の法諱をもって寺号を光恩寺とした。
境内墓地には、徳川家康第三女振姫の墓がある。
振姫(1580-1617)は、徳川家康の三女で、天正8年に側室、お竹の方との間に生まれた。
文禄4年(1595)会津若松城主蒲生秀行と結婚したが、慶長17年(1612)秀行と死別した。
元和2年(1616)に当時の紀伊和歌山藩主浅野長晟(ながあきら)と再婚して、翌年光晟(みつあきら)を生んだが、出産の16日後、元和3年8月29日38歳で死去した。
和歌山城下の吹上寺で火葬され、墓所は、京都の金戒光明寺につくられ、後に広島の正清寺に改葬された。元和4年には、高野山奥の院に供養塔が建立された。
元和7年(1621)紀州藩初代藩主 徳川頼宣が、姉の振姫(正清院(しょうせいいん))の遺骨を、吹上寺から当寺に改葬した。
その後、紀州徳川家の手厚い保護を受けたという。
明治12年(1879)火災により、堂宇が焼失したが、その後復興され、明治13年(1880)和歌山城から本丸御殿の御台所を移築して、庫裏とした。
建物に較べて小さい入口など城郭建築の特徴を有し、庫裏内の杉製の引き戸には、表面に竹林と2頭の虎が、裏面に水辺で遊ぶ鵞鳥が描かれている。
昭和46年(1971)に「光恩寺の庫裏」として、和歌山市の文化財(建造物)に指定された。



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