文禄四年木食応其上人五輪塔は、和歌山県高野山奥の院にある。
奥の院弘法大師御廟と燈籠堂の間にある御所芝内の西にある。(水原堯榮氏「高野山金石図説」参照)
和歌山県立博物館「特別展 没後四〇〇年 木食応其」では、「応其ゆかりの史跡」の中で、次のように紹介されている。
御廟前の御所芝には、文禄四年(1595)に建てられた応其の供養塔(五輪塔)があり、応其の事蹟が記されています。
この碑文によると、応其は、木食行(もくじきぎょう)(五穀・十穀を絶つ修行)といわれる難行を行ったことで有名ですが、この碑文にはその修行の内容も詳しく記されています。
応其は、「木食上人」と呼ばれていますが、その所以はここにあります。応其は、厳しい修行を通じて、多くの信者を得たようです。
上記 水原堯榮氏「高野山金石図説」には、次のとおり五輪塔(高さ九尺六寸)地輪各面の銘文が記されている。
(日野西真定氏「奥院石塔を中心とする高野山信仰の諸問題(其の一)密教文化所収」をもとに一部修正)
(写真撮影禁止区域のため、写真はありません。) → 応其上人ゆかりの地
TOP PAGE 観光カレンダー
TOP PAGE 观光最佳时期