筑前黒田家供養塔(養照院他)は、高野山奥の院31町石南西にある。
大津籠城戦死者供養塔の北西方向で、参道から約15m東側に入ったところにある。
いずれも筑前福岡藩三代目の黒田光之(右衛門佐)が建立したものである。
扁額には、養照院、寶光院と刻されており、五輪塔の地輪には、次のように刻されている。
延寶五丁巳年七月十六日終焉
養照院殿 松巖
永壽大姉靈位
爲先妣
松平右衛門佐光之建之
寛文九年十一月九日建立
寶光院殿
大姉靈位
元壽妙長
大檀主
松平右衛門佐
侍從源朝臣光之公
養照院は、筑前福岡藩二代目藩主 黒田忠之の継室で、三代目の黒田光之を産んだ。
寶光院は、小倉藩初代藩主 小笠原忠真の長女で、市松姫と呼ばれ、正保4年(1647)黒田光之の正室となった。
墓所は、福岡市博多区の崇福寺、東京都渋谷区祥雲寺にある。
当地の供養塔を建立した黒田光之(江龍院)の供養塔は、奥の院32町石北側にある。
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