大津籠城戦死者追弔碑は、和歌山県高野山奥の院にある。
関ヶ原の役の後、京極高次が大津城に立て籠もり、東軍のために取り囲まれ、忠臣山田左衛門以下二十二士が全滅したときの供養碑である。→ 大津城跡
案内柱前の板碑は、慶長5年(1600)に建立された。東隣の京極家供養塔を挟んで、天和2年(1616)に再興された討死碑がある。。
西側の追弔碑には、次のように刻されている。
山田三左衛門 磯野八左衛門 林五郎兵衛
尾本善久 瓦關甚右衛門 伊藤角久
(梵字) 草山源兵衛 香川又右衛門 河上小左衛門
石黒又兵衛 横山久内 草山八兵衛
(梵字)大津城中討死之侍衆高次馬廻也
篠宗兵衛 三浦五右衛門 藤岡又左衛門
(梵字) 萩原佐兵衛 馬淵隠商 中池角兵衛
小川左近右衛門 新保喜右衛門 石川久左衛門
山田平兵衛 慶長五年庚子九月十三日
追弔碑東隣には、京極家供養塔があり、京極高吉、京極高次、京極朗徹の石碑がある。