中宮寺は、奈良県斑鳩町にある聖徳宗の寺院で、大和三門跡尼寺の一つである。
当寺は、聖徳太子が母の穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后のために立てた寺といわれ、聖徳太子建立七ケ寺の一つである。
創建当初の寺地は、現在地から東方500mほどの所で、土壇として残っている。昭和38年の発掘調査により、南に塔、北に金堂を配した四天王寺式の伽藍配置であることが分かった。
平安時代には衰退したが、鎌倉時代に興福寺の信如尼の尽力により、1274年に天寿国曼荼羅を法隆寺宝蔵内に発見して取り戻すなど、復興が進められた。
その後たびたび火災に遭い、永正年間(1504-21)に寺地を現在の位置に移している。
天文年間(1532-55)後伏見天皇八世の皇孫尊智女王が入寺してから、皇女又は王女が入寺する慣例となって門跡寺院となり、中宮寺御所または斑鳩御所と呼ばれた。
宗派は、鎌倉時代は法相宗、その後真言宗泉涌寺派に属し、戦後は法隆寺を総本山とする聖徳宗に合流した。
高松宮妃殿下の発願により、1968年に新本堂が建設され、本尊の菩薩半跏像(伝如意輪観音像)(国宝)が安置されている。
この本尊は飛鳥彫刻の最高傑作として知られ、美術史学者から「古典的微笑(アルカイックスマイル)」の典型として評価されて、エジプトのスフィンクス、ダヴィンチのモナリザと並んで「世界の三つの微笑像」とも呼ばれている。
天寿国曼荼羅繍帳は、聖徳太子の死後、妃の橘大郎女(たちばなのおおいらつめ)が太子を偲んで造らせた現存する日本最古の刺繍で、本堂で複製品を間近に鑑賞できる。
JR大和路線法隆寺駅から法隆寺門前行きバスで終点下車徒歩8分。近鉄橿原線筒井駅から王寺駅行きバスで「中宮寺前」下車徒歩5分。法隆寺南大門付近に有料駐車場がある。(Y.N)