比叡山延暦寺は、滋賀県大津市にある天台宗の総本山である。
延暦4年(785年)に最澄(伝教大師)が比叡山で修行して薬師堂(後の一乗止観院)を建立、最澄自らが彫った薬師如来像を祀ったことに始まる。
延暦13年(794年)京都に遷都した桓武天皇は、比叡山に行幸し、比叡山寺を都の鬼門(北東-艮)鎮護の霊場に定めた。
延暦23年(804年)、最澄は渡唐し、翌年帰朝して天台法華宗を開宗した。
弘仁9年(818年)には比叡山上に日本国を鎮護するため近江宝塔院を造立、比叡山上の山城国域に京都と近畿地区を鎮護する目的で山城宝塔院を建て、それぞれに経巻1000部を納めた。
のちに、この近江宝塔院が東塔、山城宝塔院が西塔と呼ばれるようになった。
弘仁13年(822年)最澄は入寂したが、その直後に嵯峨天皇から大乗戒壇設立の勅許を得て、翌14年(823年)に延暦寺の勅号を賜った。
以来、延暦寺は歴代天皇の庇護の下で発展し、康保3年(966年)18代天台座主となった良源のもとで最盛期を迎え、東塔(とうどう)、西塔(さいとう)、横川(よかわ)の三塔十六谷に三千といわれる寺坊をもつ一大寺院群を形成することになった。
良源没後、円仁派(山門派)と円珍派(寺門派)に分かれて対立、さらに元亀2年(1571年)に織田信長の焼き討ちで全山が焼失したが、豊臣秀吉や徳川家の支援で再興され、寛永年間(1624-44)には、現在の寺観が整った。
比叡山では、多くの高僧が学び、鎌倉時代の新仏教が生まれている。法然の浄土宗、親鸞の浄土真宗、栄西の臨済宗、道元の曹洞宗、日蓮の日蓮宗などで、各宗祖の修行の地の石碑が建てられている。
境内は、国の史跡で、平成6年(1994年)には世界文化遺産に登録された。
東塔は、延暦寺一山の中心で、全山の総本堂である根本中堂(国宝)がある。堂内には板敷きの外陣が広がり、さらに一段低くなった石敷きの内陣に秘仏薬師如来が祀られ、宝前には、開創以来の「不滅の法灯」がともされている。
大講堂には、比叡山で修行した各宗派祖師の木像が安置され、堂内壁面に高僧の肖像画が架けられている。
JR湖西線比叡山坂本駅からバス経由坂本ケーブル延暦駅下車徒歩8分。