金龍山 極楽寺跡

金龍山 極楽寺跡 厄除観音 三大明神は、和歌山県橋本市にある。
当地の案内板には、次のように記されている。

極楽寺跡
当地に山号を金龍山 院号を伝法院と称する極楽寺があった。
 昭和期まで残存していた本堂は二〇坪で、本尊は阿弥陀如来であった。
極楽寺の創建は不詳だが、応永元年~三年(一三九四~六)の官省符荘の土地調査である『検注帳』に、「小田阿弥陀堂」と記されており、この頃には村堂として存在したことは確かである。
また、「清凉寺伽藍絵図」にも、清凉寺北方に阿弥陀堂が描かれている。
 大畑才蔵の『学文路組指出帳控』(延宝五年一六七七)には、極楽寺は慈尊院の末寺と記され、その北にあった安養寺は、極楽寺の末寺とある。地域で、当寺が「中の寺」と通称されているのは、小田で三ケ寺の中にあったためである。
 天保十年(一八三九)に完成した『紀伊続風土記』によれば、極楽寺は京都勧修寺の末寺とある。本来旧官省符荘内の寺院は、慈尊院の末寺であるのが原則であったが、江戸期には寺領と藩領に分かれたこともあって、年代を経ると次第に慈尊院との関係が希薄となっていた。
 宝暦二年(一七五二)に紀州藩からの要請があって当時の紀州藩主の正室の実家の伏見宮家と繋がりのあった勧修寺の末寺となったのである。当寺で特筆すべき事は、江戸後期に小田神社の燈明を管理していたことである。
 これは本来、小田神社の神宮寺であったと思われる安養寺の任務であったのだが、安養寺が退転したため極楽寺の任務となったのであろう。




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