三熊山陽瀧院権現寺は、和歌山県紀の川市池田新にある真言宗御室派の寺院である。
本堂西側には、熊野三所権現の祠がある。
寺伝によると、熊野三所権現の開基は、仁寿年間(851-854)で、その後天正の乱で焼失し、江戸時代中期寛永年間(1624-1643)に再興された。
次の三神が合祀されている。
本宮権現 本地佛 阿弥陀如来
家津御子大神(けつみこのおおかみ) → 熊野本宮大社
新宮権現 本地佛 薬師如来
熊野速玉大神(くまのはやたまおおかみ) → 熊野速玉大社
那智権現 本地佛 千手観音
熊野夫須美大神(くまのふすみおおかみ) → 熊野那智大社
また境内には、大磯虎御前の墓がある。
向かって右側奥に曽我家(兄弟)菩提のための墓、中央に虎御前の塚、左側に虎御前一代守り本尊の地蔵菩薩像がある。
向かって右側奥の墓石には、次のように刻されている。
(右)高宗院殿峯岳良雪大禪定門(曽我十郎)
(中)曽我家先祖代々覚霊菩提
(左)貞嚴院玉浦禪定尼(虎御前)
虎御前は、曽我物語に登場する東海道大磯の遊女である。
曽我十郎祐成(すけなり)と契って妾(めかけ)となるが、曽我兄弟が仇討を果たし死んだ後、出家した。→ 高野山奥の院 曽我兄弟供養塔
出家した後、熊野、太子、吉野などを回り、天王寺に滞留したあと、東海道を下って曽我の里で兄弟の一周忌を執り行い、骨を信濃の善光寺に納めたといわれる。
各地には、尼となった虎御前が諸国を巡歴して記念にとどめたという虎が石の伝説や墳墓といわれるものがある。
野村純一氏によると、「トラ」は本来、石の傍らで修法する巫女の呼び名であったと考えられており、石占(いしうら)などを職掌とする回国の巫女の活躍が、のちに大磯の虎に結びついて各地に残ったという。
JR和歌山線打田駅下車、徒歩約30分。
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