行勝上人廟は、和歌山県高野山西室院の北の裏山にある。
井村真琴氏の「高野のしをり」には、次のように記されている。
行勝上人廟
多聞院の後山にあり。上人は一心院の開祖にして、一世の大徳(たいとく)、法験最も著し。
曾て守覚親王の命に応じて、晴を祈りて法験あり、因て其欲する所を賞せんとし玉ふ。
上人天野神社に一切経を納められんことを請ふ。乃ち親王の奏請に依り、詔ありて之を賜はる。今金剛峰寺に蔵する宋版蔵経是也。
又曾て丹生神社の霊夢を感じ、天野に気比、厳島の二神を勧請す爾来天野院主を管し、建保五年かの地に寂す。
村人其徳を追慕し、小祠を社邊に建てて其霊を祀れり之を若宮と称す。
行勝(1130-1217)は、平安後期から鎌倉時代の僧である。
摂津高木出身で大治5年に生まれ、幼名は万寿麻呂と呼ばれた。はじめ京都仁和寺華蔵院宮の侍童。真言を学び、心覚から灌頂を受けた。
山岳修行を積み、高野山一心院谷に草庵を結んで五穀を断ち、「木食(もくじき)上人」とよばれた。
高野山の堂塔の復興、建立に尽くし、止雨法に霊験があったという。
建保5年5月7日死去。88歳。法名は真俊。
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