西室院は、和歌山県高野山の五の室院谷にある別格本山である。
本尊稚児不動明王は、空海の護持仏と伝えられ秘仏とされている。
元禄5年(1692年)の高野聖断の時までは谷上院谷の無量寿院の東にあったが、南谷の成蓮院(じょうれんいん)の南に移り(紀伊続風土記)、明治14年(1881年)には当地に移った。
高野山開創当時、壇上伽藍を中心にして東西南北の四室が設けられたが、当院は西室が独立した寺院で山内でも長い歴を有する寺院として知られる。
その後、中興の高野山検校雅真僧都(長保元年没)、執行興胤(承保2年没)らが住した。
門前に源家三代の墓塔といわれる三基の五輪塔があり、院の裏山には行勝上人廟がある。
西室院は、多門院という寺と合併しており、その敷地は「多門苑」という庭園として整備されている。
多門苑は、かつて2000年前の実から発芽したという大賀一郎博士御手植えのハスで知られる。
南海高野線高野山駅からバスで一心口下車すぐ。参拝者用の駐車場がある。