飯道神社

飯道神社は、滋賀県甲賀市信楽町飯道山の二ノ峰にある。
飯道山は山内に巨岩、奇岩がそびえ立つ、古来から山岳信仰が栄えた霊山で、金奇(きんき)山・餉令(かれい)山とも呼ばれ、標高約664mの一ノ峰は「古権現」とも称し、最初に飯道神が降り立ったところと伝わっている。
飯道神社(祭神 伊弉冉尊(いざなみのみこと))の創建は古く、社伝によれば、奈良時代の和銅7年(714)熊野神社の分霊を勧請したとされ、平安時代の延喜式神名帳にも甲賀郡内八座の一つとして名を並べる式内社でもある。
現在の本殿(国指定重要文化財)は、昭和50年(1978)からの解体修理で判明した部材の墨書により、慶安3年(1650)に再建されたことがわかった。
桁行三間、梁間三間の屋根を入母屋造の檜皮葺とし、正面三間の向背は縦破風の軒に作り屋根正面に千鳥破風を、向拝には軒唐破風をつけた構造である。
庇のまわりに裳腰と呼ばれる庇がさらにせり出しており、本殿のまわりに霜よけの囲いがつけられている。
本殿内陣は素木(しらき)であるが、外側は朱や漆で塗られ、金箔を押し、飾り金具で装飾されている。

平安時代には、飯道神社に隣接して飯道寺が建立され、最盛期の室町時代初期には58の僧房を有する修験道の中心地のひとつであったが、明治時代の神仏分離政策により廃寺となった。
江戸時代の様子は境内にある飯道山惣絵図に描かれており、かつての石塁は現在も残されている。
明治25年(1892)には、飯道寺の里房で貴生川駅近くの三大寺登山口にあった本覚院を飯道寺と改称して復興された。
高野山を再興した高僧で、豊臣秀吉の信任も得ていた木食応其が晩年に当地に隠棲し、ここで亡くなったため、その入定窟が残されている。
本殿の裏手 西北側には、「東ののぞき」があり、天正9年に織田信長が国見をしたと伝えられている。
JR草津線貴生川駅下車、徒歩150分。西側麓に参拝者用駐車場があり、駐車場から階段と山道経由で徒歩40分。




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