雲雀山旧跡は、和歌山県橋本市恋野にある。
中将姫が14歳の時、継母の照夜の前の命令で、家臣の松井嘉藤太(かとうた)が、姫を板張りの輿にのせて、奈良の都からこの雲雀山に連れ出し殺害しようとした。
中将姫は、「これ嘉藤太や、私は日に六巻のお経を唱えている。このお経が終わればどうぞ首を討ちとってください。」と言って、西に向かってお経を唱えた。
松井嘉藤太は、その姫の姿を見て振り上げていた太刀を捨て、姫を守ることを決意した。その故事で雲雀山は、別名「太刀捨て山」と呼ばれる。
嘉藤太は、麓を流れる去年川(こぞがわ)の奥の岩陰に草庵を作って、妻のお松とともに2年3か月間隠れ住んだ。
謡曲「雲雀山」では、「大和紀の國の境なる、雲雀山にて」と、中将姫の物語が謡われている。
(註解 謡曲全集 巻三 野上豊一郎編 参照) → 青蓮寺 雲雀山(有田)
現地の去年川橋東詰には、田林義信和歌山大学名誉教授の次の歌碑がある。
「母を恋ひ 中将姫が揚雲雀 聞きけむ山ぞ 秋は紅葉す」
JR和歌山線隅田駅下車、徒歩20分。→ 中将姫物語ゆかりの地