稲葉正勝供養塔

稲葉正勝供養塔は、和歌山県高野山奥の院にある。
奥の院28町石と高麗陣敵味方戦死者供養塔の間の道を約30m北にのぼった場所に建立されている。
稲葉正勝(1597-1634)は、徳川幕府の老中で、常陸国柿岡藩主、下野国真岡藩主、相模国小田原藩主を務めた。
父は、稲葉正成で、母は春日局である。
母の春日局が徳川家光の乳母となったことから、乳兄弟として幼少時から3代将軍徳川家光に仕えた。
正勝は、寛永11年正月25日に享年38で亡くなった。
稲葉正勝が開基となった湯島の養源寺に葬られ、養源寺古隠紹太(こいんじょうだい)と諡号された。
当地の墓石には、養源寺殿丹州太守古隠紹太夫居士と刻されている。
墓石裏面には、建立者名が刻されており、為慈父追善孝子鶴(異体字)千?建之 と刻されている。
神奈川県史人物編によると、稲葉正勝の正室は、幕臣山田十太夫重利の女で、千熊・鶴千代(稲葉正則)を産んでいる。

西側の五輪塔は、塚田木工(もく)助正家(高節宗勇居士)の供養塔である。
塚田正家(~1635)は、稲葉正勝の近臣である。
稲葉正勝は、下野(栃木県)真岡から小田原入封直後の寛永10年(1633)1月21日、小田原大地震で負傷し、翌年1月病没した。
塚田正家は正勝一周忌に追腹殉死した。
稲葉家は特に、入生田(小田原市)紹太寺(じょうたいじ)と江戸湯島(文京区)養源寺の稲葉家一族墓地に塚田正家を葬り、墓石を建てている。



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