加賀前田家供養塔

加賀前田家供養塔は、和歌山県高野山奥の院にある。
奥の院31町石の北にあり、現地の案内板には、加賀前田家二代利長墓所と書かれている。
奥の院の五輪塔の中で三番目の大きさで、三番石と呼ばれる。参道を挟んで向かい側には、前田利長夫人永姫(えいひめ)の五輪塔がある。
前田利長(1562-1614)は、安土桃山時代、江戸時代初期の武将である。
前田利家の長子で、母はまつ(芳春院)、加賀前田藩の第二代藩主である。
初名は、利勝、その後、犬千代、孫四郎と称した。
父の利家とともに、織田信長、豊臣秀吉に仕えて、各地に転戦した。
慶長3年(1598)家督を継ぎ、翌年、父利家の死に伴い、豊臣家五大老の一員となったが、関ヶ原の戦には東軍に属して、所領を安堵された。
その後、加賀、越中、能登の所領は120余万石となり、外様大名では最高録の大名となった。
慶長10年(1605)には、家督を異母弟の利常に譲り、慶長19年(1614)5月20日に没した。(享年53歳)
前田利長の墓所は、富山県高岡市の瑞龍寺などにある。
高野山奥の院の前田利長五輪塔は、慶長20年6月に前田利光(後に利常と改名)が造立したものである。

水原堯榮氏の「高野山金石図説」によると、地輪前面に次のように刻されている。
   大施主加賀國太守松平筑前守利光
   為羽柴肥前守殿豊臣朝臣利長追薦
         奉爲瑞龍院殿前
  (梵字ア) 従三位黄門聖山英賢
         大居士一周忌秡苦與樂
   御袋方芳春院殿依御勸如斯造立
   豈慶長十九甲寅五月廿日敬白

→ 加賀前田家石塔



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