梶原政景供養塔

梶原政景供養塔は、和歌山県高野山奥の院23町石南西にある。
上杉謙信霊屋前の平坦部に、水谷家供養塔が並んでおり、その東端に梶原政景供養塔がある。
地輪には、次のように刻されている。
武蔵國岩付梶原美濃守逆修
(梵字)恱叟道喜居士
慶長十五庚戌七月廿日建之

梶原政景(1548-1615)は、戦国期から江戸初期の武将である。
武蔵国岩付城(埼玉県さいたま市岩槻区)の城主 太田資正(すけまさ)の次男で、梶原上野介未亡人の養子となり、梶原姓を称した。
足利義氏の臣下を経て、常陸国佐竹義重の家臣となった。
慶長5年(1600)関ヶ原の戦いの後、減封された佐竹氏の秋田転封に従うが、後に北ノ庄藩の結城秀康に2000石で仕えた。
慶長19年(1614)大坂の陣には、結城忠直の家臣として従軍している。
当地の供養塔は、梶原政景が結城家家臣時代に逆修塔として建立された。



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