棺掛桜

棺掛桜(かんがけさくら)は、和歌山県高野山の奥の院にある。
弘法大師入定7年後の承和9年(842年)に第52代嵯峨天皇(786年-842年)が崩御した。
御棺を京都嵯峨野に安置したところ、高野山から天人が輿とともに降り来り、
御棺を担いで、高野山壇上伽藍近くの山上に奉安したという。
弘法大師は、禅定から出て、弟子の実恵、真然らとともに天皇を荼毘に付し、
その御骨を覚鑁坂の西に納め、この桜を植えたと伝えられる。
嵯峨天皇の御陵(嵯峨山上陵)は、京都市右京区北嵯峨にある。
南海高野線高野山駅からバスで、奥の院前下車、徒歩5分。

嵯峨天皇供養塔(嵯峨天皇墓所)
日野西眞定氏著「お大師さんと高野山[奥の院]」によると、当地の中の橋付近に嵯峨天皇供養塔等が建立されていたとして、次のように紹介されている。
高野山持明院蔵「高野山絵図」には、嵯峨天皇供養のための石造五輪塔が描かれてあり、「嵯峨天皇御墓所(右)、弘安二歳四月朔日(左)」と彫ってある。
この五輪塔は、江戸時代の数本の絵図にも描かれてあり、明治十七年(一八八四)の「高野山略図」まで認められる。
その後、行方不明となり、先年調査したが、見つける事が出来なかった。(中略)
ここには、弘法大師空海の重立った(ママ)弟子で、実慧(じちえ)(道興大師)・真雅(しんが)(貞観寺僧正、法光大師)の供養塔もあった。
(後略)


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