河内高木家供養塔は、和歌山県高野山奥の院25町石南西にある。
奥の院参道から約20m南にあり、参道側には日向飫肥 伊東家供養塔、南には奥州相馬家供養塔、西隣には長州萩 益田家供養塔がある。
史跡金剛峯寺境内(奥院地区)大名墓総合調査報告書によると、墓所内には、中型五輪塔7基、小型五輪塔4基、櫛形墓標9基などがある。
墓石の確認できた供養塔は、次のとおりである。
写真番号 | 供養者名 | 没年 | 法名 | 備考 |
① | 河内丹南藩 第2代藩主 高木 正成(幼名 善次郎) |
寛永12年 (1635) |
清巌道向 智徳院 |
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② | 河内丹南藩 第6代藩主 高木 正陳(まさのぶ) |
元文6年 (1741) |
乾譽學□性久 元亨院 |
徳川家臣 高木正次は相模、武蔵などに9千石を領する旗本であったが、元和9年(1623)大坂城の警護役に就き、新たに丹南(現大阪府松原市)の地を与えられて、一万石の大名となった。
その後、高木家13代が丹南を領して、明治維新に至っている。
高木正成(まさなり)(1587-1635)は、高木正次の長男として生まれ、寛永8年丹南藩第2代藩主となり、将軍徳川家光のもとで大番頭をつとめた。
高木正陳(1665-1741)は、第4代藩主 高木正盛の次男として生まれ、兄 正豊の跡を継いで丹南藩第6代藩主となり、大番頭、奏者番をつとめた。
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