顕蔭師塔(顕蔭法師供養塔)

顕蔭師塔(顕蔭法師供養塔)は、和歌山県高野山奥の院の景教碑東側にある。
大正12(1923)年9月1日の関東大震災に際して、王一亭(1867-1938)の呼びかけで、中国仏教界は「仏教普済日災会」を組織し、代表団20名が来日した。
寧波観宗寺の僧 顕蔭(けんおん)も代表団の一員として来日し、その後日本に留まり、高野山で金山穆韶の指導で密教を修学した。
顕蔭法師は、中国帰国後まもなく示寂し、昭和6年(1931)7月6日に高野山天徳院において、金山穆韶によって顕蔭の7回忌の法要が行われた。



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