近衛天皇安楽寿院南陵は、京都市伏見区竹田内畑町の安楽寿院南側にある。
近衛天皇(1139-1155)は、平安時代後期の天皇(在位1141-1155)で、名は体仁(なりひと)ある。
鳥羽天皇の第9皇子で、母は藤原長実(ながざね)の娘 美福門院(びふくもんいん)得子(とくし、なりこ)である。
父の鳥羽上皇は、白河法皇が強引に即位させた崇徳天皇を排除するため、体仁を生後3か月で立太子させて3歳で皇位につけた。
近衛天皇在位中は、鳥羽上皇が院政を敷いたが、近衛天皇は久寿2年(1155)に17歳の若さで死去した。
安楽寿院は、保延3年(1137)鳥羽離宮の東殿を寺に改めたことに始まる。
開基は鳥羽上皇で、上皇念持仏である卍阿弥陀(まんじあみだ)仏を本尊とし、覚法法親王を導師として落慶した。
保延5年(1139)鳥羽上皇が自らの葬堂とするため本御塔(ほんみとう)と呼ばれる三重塔が建立され、
保元元年(1156)7月2日に鳥羽法皇(上皇)が安楽寿院御所で崩御すると、遺言により火葬には付されず本御塔の塔内に葬られた。→ 鳥羽天皇安楽寿院陵
上皇没後の保元2年(1157)頃、皇后美福門院のために新御塔(しんみとう)が建立されたが、美福門院は本人の希望で高野山に葬られた。→ 美福門院陵
そのため、長寛元年(1163)には、鳥羽天皇の皇子であった近衛天皇が洛北知足院から新御塔に改葬された。
当地の近衛天皇安楽寿院南陵が新御塔で、現在の多宝塔は慶長11年(1606)豊臣秀頼により、片桐且元を普請奉行として再興されたものである。
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