広済寺 近松門左衛門墓所

広済寺、近松門左衛門墓所は、兵庫県尼崎市久々知にある。
広済寺は、もと禅寺であったが、荒廃していたところを 正徳4年(1714)に日昌上人が法華経の道場として再興した。
近松門左衛門(1653-1724)は、江戸時代前期に活躍した浄瑠璃、歌舞伎作者である。
日昌上人の父 尾崎吉左衛門が営んでいた大坂松島の船問屋で、近松が諸国往来の話を聞き、浄瑠璃の脚本を書いていた関係から、広済寺再興の本願人となって尽力したという。
そして、近松翁は広済寺本堂裏に「近松座敷」(八畳三間)を造り、数々の名作を書き残した。
享保9年(1724)11月22日、近松は大坂天満の仮寓で、妻子に看取られながら72歳の生涯を終えた。
近松の遺言により、日昌上人は、遺骨を持ち帰り当山に葬った。
墓石には、近松の法名「阿耨院穆矣日一具足居士(あのくいんぼくいにちいちぐそくこじ)」と妻の法名「一珠院妙中月事信女」が刻されている。
近松門左衛門墓所は、昭和41年に国の史跡に指定された。
毎年11月22日の命日にあわせて、近松祭が催される。
なお、妻の実家の菩提寺である大阪市中央区の日蓮宗法妙寺の境内にも墓が設けられた。
一帯は近松の里と呼ばれ、広済寺東側には、「近松記念館」があり、近松の像も建立されている。 → 近松門左衛門ゆかりの地
JR福知山線塚口駅下車、徒歩13分。



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