越後高田藩 松平綱賢供養塔

越後高田藩 松平綱賢供養塔は、和歌山県高野山奥の院30町石西にある。
天樹院千姫供養塔に隣接して建てられており、下記写真の鳥居奥には、崇源院(徳川秀忠夫人 お江)供養塔(一番石塔)が見える。
鳥居上の扁額には、「源剛院」と書かれており、五輪塔地輪には次のように刻されている。
 延寶二年甲寅年
     源剛院殿
(梵字) 天譽道本
     勇徹大居士
 正月晦日

越後高田藩は、慶長15年(1610)徳川家康6男の松平忠輝が入封し、酒井家の後に、結城秀康の二男、松平忠昌が藩主となった。→ 松平(結城)秀康及び同母霊屋
しかし、福井藩主の兄 松平忠直が配流されたため、忠昌は福井藩に移り、かわって忠直の子 松平光長が高田藩主となった。→ 越前福井(北ノ庄)藩主 松平忠直供養塔
松平綱賢(つなかた)(1633-1674)は、光長と正室土佐(廣國院)の間に生まれた嫡男で越後高田藩の世嗣である。
綱賢は、延宝2年に嗣子の無いまま42歳で病死し、上越市の林泉寺に葬られた。
その後、松平光長(1616-1707)の相続をめぐって藩内が二分されて越後騒動が起こり、光長は、伊予国松山藩に配流となった。→ 周辺石塔の案内



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