森中将忠政供養塔は、和歌山県高野山奥の院19町石西側にある。
森忠政(1570-1634)は、安土桃山、江戸前期の大名で、美作国津山藩第一代藩主である。
織田信長に仕えた美濃国金山城主 森可成(よしなり)の六男として生まれた。
父と長兄は、元亀元年(1570)、織田信長の越前攻略戦で戦死し、三兄の森蘭丸と四兄、五兄は、天正10年(1582)の本能寺の変で戦死した。
家督を継いだ次兄 長一は、豊臣秀吉に仕えたが、天正12年(1592)長久手の戦で死んだため、六男の森忠政が遺領7万石を継いだ。
その後、慶長8年(1603)小早川秀秋没領の内、美作国18万石の藩主となった。
当地墓所の五輪塔地輪には、「本源院殿前親衛 先翁宗進 大居士成菩提也」と刻されている。→ 岡山津山森家供養塔
京都大徳寺の塔頭 三玄院には、森忠政の墓所がある。
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