岡山津山森家供養塔

岡山津山森家供養塔は、和歌山県高野山奥の院にある。
奥の院19町石西側にあり、東西二区画に分かれている。
上段の東側区画(向かって右側)には、森中将忠政墓所の案内柱が立ち、初代忠政及び妻子と家臣の石塔がある。
下段の西側区画には、岡山津山森家墓所の案内柱があり、鳥居上の扁額には、顕徳院、霊光院と書かれている。
向かって右(東側)の五輪塔は、顕徳院の供養塔である。
顕徳院は、森忠廣(忠広)(1604-1633)で、津山藩初代藩主森忠政の嫡男である。
霊光院は、森忠継(1637-1674)で、津山藩二代藩主森長継の長男で、延宝2年に家督を継ぐことなく38歳で死去した。
美作津山藩は、慶長8年(1603)森忠政が津山に入った。
18万6500石を領したが、5代藩主衆利(あつとし)が乱心を理由に改易された。
その際、衆利の祖父で2代藩主であった長継が健在であったので、長継が備中西江原藩2万石の大名となって家名を存続した。
子孫は、宝永3年(1706)に播磨赤穂藩へ転じ、赤穂で明治維新を迎えている。→ 国史跡赤穂城跡 日本最後の仇討墓所



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