三玄院は、京都市北区大徳寺の塔頭である。
天正17年(1589年)、浅野幸長(よしなが)、石田三成、森忠政(蘭丸の弟)が、大徳寺第111世 春屋宋園(しゅんおくそうえん)(大宝円鑑国師)を開祖として創建した。
三人の檀越については異説があり、「都林泉名勝図会」は、浅野幸長、森長定、森忠政の三人を挙げている。
書家としても知られた公卿 近衛信尹(のぶただ)や、黒田長政、小堀遠州、古田織部などの武将、茶人 薮内剣仲、絵師 長谷川等伯など、多くの人々が春屋和尚に禅を学んだ。
澤庵宗彭や千宗旦(利休の弟)も当院で修行している。
当初は、西隣に建てられていたが、明治11年(1878年)に現在地に移転した。
方丈(本堂)の仏間には、開祖春屋和尚の木像や、本尊阿弥陀如来像が安置され、石田三成の位牌のほか、後陽成天皇、近衛信尹、浅野幸長、森蘭丸、森忠政なども祀られている。
方丈内部の襖絵は、御所や公家の御用をつとめた江戸時代の絵師 原在中が描いたものである。
室中の間両側にある龍虎の襖絵は、墨のにじみの効果を利用した「たらしこみ」による表現で龍を描いており、どこから見ても視線の合うように描かれた「八方睨みの虎」はよく知られている。
方丈前の「昨雲庭(さくうんてい)」は、植え込みと大きな立石で深山から流れ出す滝をあらわし、苔や名石の島を配した白砂で広がる大海を表現した枯山水庭園である。
大徳寺の法堂や松を借景として取り込んでいる。
昨雲とは、春屋宋園の語にあり、「迷いの跡もとどめない人間本来の清浄な姿」を意味するという。
方丈北側には、三畳台目の広さを持つ八窓の茶室「篁庵(こうあん)」がある。古田織部好みとして著名で、京都府の指定文化財になっている。
春屋宋園(大宝円鑑国師)、石田三成、森忠政、薮内剣仲、古田織部の墓所がある。
高野山奥の院には、石田三成が逆修で建立した供養塔、森忠政供養塔がある。
京都市バス大徳寺前下車、徒歩10分。