陸奥八戸藩 南部家供養塔は、和歌山県高野山奥の院31町石西にある。
修養団棒誠会の父母恩重碑の西側に隣接している。
案内図「高野山奥の院の墓碑をたずねて」には、写真③五輪塔の建立者が南部右近通信であることから、陸奥南部右近供養塔と記されている。
史跡金剛峯寺境内(奥院地区)大名墓総合調査報告書によると、中型五輪塔4基、小型五輪塔5基、板碑5基などが建立されている。
墓域内の主な供養塔は、次のとおりである。
写真番号 | 供養者名 | 没年又は 建立年 |
法名 | 備考 |
① | 陸奥八戸藩 初代藩主 南部直房の母 中里嘉兵衛正吉の娘 |
建立年 延寶元年 (1673) |
仙壽院殿 大姉 松嶺妙閑尼 |
陸奥八戸藩 第2代藩主 南部(遠江守)直政が 祖母の第七年忌に建立 |
② | 陸奥八戸藩 初代藩主 南部 直房(なおふさ) |
寛文8年 (1668) |
清涼院殿前金吾天性 自性自心大居士 |
直房長男の 陸奥八戸藩第2代藩主 南部(武大夫)直政が建立 |
南部直房 側室 南部直政の母 川口玄之丞の娘 |
没年 享保2年 (1717) |
霊松院殿法雲宗珠 逆修 |
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③ | 陸奥八戸藩 第2代藩主 南部(遠江守)直政 |
没年 元禄12年 (1699) 建立年 元禄14年 |
天祥院殿前遠刕大守 月潤宗眞大居士 |
直政養子の 陸奥八戸藩第3代藩主 南部右近通信が建立 |
④ | 陸奥八戸藩 第8代藩主 南部(左衛門尉)信眞 |
没年 弘化3年 (1847) |
惇徳院殿前左金吾 挍尉仁峯榮大居士 |
信眞養子の 陸奥八戸藩第9代藩主 南部遠江守信順が建立 |
盛岡藩第2代藩主の南部重直(しげなお)が後継者を定めずに急死したため、幕命により10万石を盛岡藩8万石と八戸藩2万石に分割され、
重直の異母弟 中里数馬(後に、南部直房と改名)が初代藩主となって八戸藩が成立した。
高野山奥の院には、盛岡藩の墓所がある。→ 陸中盛岡 南部家供養塔
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