明遍僧都墓

明遍僧都墓は、和歌山県高野山のもと蓮華谷南側にある。
熊谷寺東側の明遍通りを南に突きあたり、約30m山内に入った場所にある。
一の橋口バス停横に、明遍僧都遺蹟の石柱がある。
明遍(1142-1224)は、平安、鎌倉時代前期の僧である。
藤原通憲(信西)の子で、18歳の時に平治の乱で越後に配流された。
赦免後、東大寺で敏覚を師として三論宗を修めた。
その後、東大寺を離れ、やがて大和の光明山寺に入った。
そして50歳代で高野山に遁世し、蓮華谷に蓮華三昧院を建立し、83歳で没した。
高野山奥の院の御廟橋東側には、明遍上人像がある。
紀伊続風土記の高野山非事吏事歴には、高野山の聖の始まりは、明遍上人であると紹介されている。
南海高野線高野山駅からバスで一の橋口下車、徒歩5分。



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