中川清秀の墓

中川清秀の墓は、滋賀県長浜市余呉町にある。
中川清秀(1542-1583)は、安土桃山時代の武将である。
中川重清の嫡男で、池田勝正、織田信長に仕え、一族の荒木村重に属して摂津茨木城を拠点とした。
天正6年(1578)に荒木村重が信長に背くと、信長に帰順して村重を攻めている。
本能寺の変後は豊臣秀吉に属し、山崎の戦いでは先鋒をつとめて明智勢を敗退させた。
天正11年(1583)の賤ケ岳の合戦では、当地の大岩山(290m)の砦に陣を敷いた。
柴田勝家軍の武将で行市山に布陣していた尾山(金沢)城主 佐久間盛政が、約6000の軍勢で奇襲をかけ、中川勢は約3000で奮戦したが、圧倒的な兵力の差により戦死した。
嫡男の秀政は、天正13年(1585)播磨国三木に移るが、文禄の役で朝鮮国水原城で死去したため、家督は次男秀成が継ぎ、文禄2年(1593)豊後国岡藩主となり、中川家は幕末まで藩主をつとめた。

中川清秀とその配下の墓所は、天和2年(1682)清秀の百回忌に、豊後国岡藩第4代藩主の中川久恒が建立し、木之本浄信寺住職の雄山が碑文を刻んだという。
JR北陸本線余呉駅から山道を約1.6㎞歩くと墓所がある。余呉湖畔にある大岩山登山道入口には、数台の駐車スペースがある。



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