成田屋眼玉白猿歌碑

成田屋眼玉白猿歌碑は、和歌山県高野山奥の院27町石西にある。
奥の院中の橋を渡り、参道を約30m東に進んだ所で、階段を5段登った右側に位置している。
すぐ上の段には、下総関宿藩小笠原家供養塔がある。
「成田屋眼玉」と書かれた台石の上の墓石(歌碑)には、次のように刻されている。(山内潤三氏「高野山詩歌句碑攷」参照)
(西面)
  文政八酉八月八日
   教岸教浄

   妙信妙智
  天保十一子七月晦日
(北面)(奥の院参道側)
        壽海老人白猿
人間の道をたつねてきたるはし
かうゝゝとおしへくたさる
(南面)
天保八酉四月廿三日
  正念浄念信士

上記の山内潤三氏の解説によると、壽海老人は「海老蔵」をもじった号で、白猿は七代目市川団十郎の俳号である。→ 市川団十郎墓所
歌の「はし」は、この墓碑のある中の橋を指すか、と解釈され、「弘法大師が人間の生きる道はこうこうだと教え下さる。」の意味だという。
この周辺の石塔類には、施主 市川団十郎とされるものや、江戸ゆかりの石塔がある。→ 市川団十郎 成田屋 関係墓石群



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