桂川連理柵の史跡 お半長右衛門供養塔

桂川連理柵の史跡 お半長右衛門供養塔は、京都市右京区にある。
当地の案内板には次のように記されている。

桂川連理柵(かつらがわれんりのしがらみ)の史跡
宝暦十一年(一七六一)四月十一日の朝、この場所より西方五十米の川岸に男女の溺死体が浮かんだ。
身元をたづねると、京は柳馬場押小路の虎石町 信濃屋の娘と帯屋の主人であった。
ここがその後 浄瑠璃や歌舞伎で広く世に喧伝された「桂川連理柵」の主人公、お半 長右衛門の悲恋物語の舞台である。

露の命の置き所 草葉の上を思えども
義理にしがらむこの世から 刃では死なれぬゆえ
桂川へ身を沈めるが せめてもの言訳と
お半を背に一足先に水の中へ

現在でも、お半長右衛門といえば中年の男と幼い娘との”思案の外の恋”の代名詞のように語り継がれている。
その後 郷土の先人がこの二人の物語をあまりにも哀れに思い、この塔塚を建立したものであるが、合わせて桂川水防の碑として長らく守られてきた。
なお、この塔塚については、子供の病いに効能ありとして広く信仰の対象にもなっていた。
昨今、はなはだしく荒廃埋忘していたのを昭和四十九年十一月吉日、地元有志の努力によってここに移し替えられたものである。
        お半 長右衛門 法華塔保存会

誓願寺の墓所には、お半長右衛門の墓がある。



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