楊柳山大野寺は、奈良県宇陀市室生大野にある真言宗室生寺派の寺院である。
寺伝によると、白鳳9年(681)に役小角(えんのおづぬ)により創建され、天長元年(824)に弘法大師空海が室生寺を開創した時に西の大門と定めて一宇を建て、
本尊弥勒菩薩像を安置して慈尊院弥勒寺と称したという。その後、地名を名づけて大野寺と称した。
本堂には、木造地蔵菩薩立像(国指定の重要文化財)が安置されている。
鎌倉時代の寄木造りの作品である。目には玉眼が入れられ、衣には截金(きりがね)文様がみられる。
永正年間(1504-21)に、土地の豪族の侍女が放火の罪を着せられ火焙りの刑に処せられる際、
侍女が日頃信仰していたこの地蔵が身代わりとなったことから「身代わり焼け地蔵菩薩」と呼ばれ、
後頭部から背面に焼け跡が残っている。
また鎌倉室町時代の興福寺伝法院で書写された大般若経六〇〇巻のうち、三六〇巻が現存している。
明治33年(1900)に大火があり、伽藍のほとんどが焼失した。
現在の本堂、鐘楼、庫裏などはその後に再建された。
近鉄大阪線室生口大野駅下車、徒歩5分。参拝者用の駐車場がある。
この石仏は鎌倉時代の初期 興福寺の雅縁大僧正が笠置寺本尊弥勒菩薩摩崖仏を模して造立することを発願し、
承元元年(1207)から宋人石匠が彫刻し、承元3年(1209)3月7日に落慶供養が営まれた。
落慶供養には後鳥羽上皇が公卿や武将を従えて臨み、宸翰を胎内に収めたと記録されており、
大正5年(1916)の調査で小巻子を検出したが、朽ちていたため開くことができず再び胎内に戻された。
宇多川の対岸 屛風ヶ浦と呼ばれる流紋岩質溶結凝灰岩の岩壁を、二重光背形に彫込み、その内面を水磨きして、高さ11.5mの弥勒磨崖仏が線刻されている。
また石仏の左下には摩崖尊勝曼荼羅がある。
2.8m四方の輪郭の中に直径2.2mの円を彫り、中央に金剛界大日、周辺に諸仏、明王、童子を表す梵字が刻まれている。
大野寺石仏は、昭和9年(1934)に、対岸の大野寺境内地も含めて国の史跡に指定された。