興福寺 

興福寺は、奈良市登大路町にある法相宗の大本山である。
天智天皇8年(669年)に藤原鎌足が造立した釈迦三尊像を安置するために、夫人の鏡女王(かがみのひめみこ)が京都山科の私邸に建てた「山階寺」を始まりとする。
その後、飛鳥厩坂(現在の橿原市)の地に寺を移し、厩坂寺(うまやざかでら)と称した。
さらに、都が平城京に遷った和銅3年(710年)、藤原不比等が現在地(左京三条七坊)に移転し、興福寺と名付けた。
その後、天皇や皇后、藤原家の人々により堂塔が建てられ、平安時代には春日社と一体化し、わが国最大の勢力を有する寺院に発展した。
各地に荘園を有して、僧兵の武力も持ち、比叡山延暦寺と並んで南都北嶺と呼ばれた。
治承4年(1180年)平重衡の南都焼打ちで伽藍のすべてが焼失したが、その後再建され、鎌倉・室町時代には大和国に守護を置かず、興福寺がその任にあたった。
明治時代に、廃仏毀釈で春日大社が分離独立し、一時は衰微したが、復興を果たし、1998年には世界文化遺産に登録されている。
境内には、東金堂、五重塔、北円堂、三重塔などの国宝建造物や、中金堂があり、国宝館や諸堂には、阿修羅像を始めとする数多くの寺宝が所蔵、公開されている。
近鉄奈良線奈良駅下車、徒歩5分。参拝者用の有料駐車場がある。→ 興福寺菩提院大御堂(通称 十三鐘)



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