生石神社 石の宝殿

生石神社 石の宝殿は、兵庫県高砂市阿弥陀町にある。
生石(おうしこ)神社は、法華山谷川の右岸、宝殿山の中腹に鎮座する神社で、石の宝殿とよばれる巨石を神体とし、祭神は大己貴命、少彦名命である。
本社(拝殿)は、流造の屋根を持つ木造建築で、棟札の記載により、天保15年(1884)に建てられたと考えられている。
文化4年(1807)に焼失した後に再建され、昭和54年(1979)に屋根は檜皮葺から銅板葺きに変更された。

「石の宝殿(いしのほうでん)(石)」は、宮城県塩釜市の塩竃神社の「四口の神竃(よんくのしんかま)(鐡)」と、宮崎県高原町にある「天之逆鉾(あまのさかほこ)(銅)」とともに、日本三奇の一つに数えられている。
平成26年(2014)10月6日に「史跡 石の宝殿及び竜山石採石遺跡」として、国の史跡に指定された。
石の宝殿は、竜山石(たつやまいし)の岩盤を掘り込んで製作されている巨石遺構で、重量は推定465トン、幅6.47m、高さ5.68m、奥行5.58mの直方体に屋根型の突起部がついている。
えぐり込まれた底面に水がたまり、浮かんでいるように見えることから「浮き石」とも呼ばれている。
播州石宝殿略縁起(播磨鑑)によると、大己貴命が天の岩船に乗って当地の山にとどまり、高御位大明神と号し、一神は少彦名命生石子大明神と号した。
二神が心を合せて五〇余丈の岩を切抜き、石屑は一里北の高御位(たかみくら)の峰に投げ置き、一夜のうちに二丈六尺の石の宝殿を造り、二神が鎮座したという。
奈良時代に編纂された我が国最古の地誌「播磨風土記」に「大石」と記されている。
制作目的や年代等について、諸説が出されており、隣接する浮石資料館の展示では、似たものとして、牽牛子塚古墳の横穴式石室と、益田岩船が紹介されている。

「播磨國石乃寶殿 生石神社略記」には、次の万葉歌(巻3-355)が掲載されている。
 生石村主真人(おいしのすぐりまひと)が歌一首
大汝(おおなむち) 少彦名(すくなひこな)の いましけむ 志都(しつ)の岩屋は 幾代経ぬらむ
(歌意)
大国主命や少彦名命が住んでおいでになったという志都の岩屋は、どれほどの年月を経ているのだろう。
「志都の岩屋(岩室)」は、所在不詳とされている。
候補地として、(1)島根県瑞穂町岩屋の志都の岩屋(2)同大田市静間町の海岸にある靜が窟(3)兵庫県高砂市阿弥陀町生石の石の宝殿が紹介されている。(奈良県立万葉文化館「万葉百科」参照)

JR山陽本線宝殿駅下車、徒歩30分。参拝者用の駐車場がある。




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