麟祥院は、東京都文京区湯島4丁目にある臨済宗妙心寺派の寺院である。
この麟祥院(りんしょういん)は、寛永元年(1624)徳川家光の乳母 春日局隠棲所として創建され「報恩山 天澤寺」と称した。
寛永20年(1643)春日局の死後、寺は局の菩提寺となり、法名にちなみ「天澤山 麟祥院」と改めた。
境内の周囲にカラタチ(枳殻)の木を植えていたので、別名「からたち寺」ともいわれたが、明治期の道路拡張などによりカラタチの生垣はなくなっている。。
墓地奥にある春日局の墓(文京区指定史跡)は、無縫塔(卵塔)で、四方に穴が貫通した特異な形をしている。
これは、「死して後も天下の御政道を見守り、之を直(ただ)さんが為」との遺言によるという。
山門前には、「春日局之像」が建立されている。
春日局墓所は、神奈川県小田原市の紹太寺(稲葉一族墓所)にもあり、京都市の金戒光明寺と高野山奥の院に春日局供養塔が建立されている。
哲学館跡
明治20年(1887)、この麟祥院内に「東洋大学」の前身である「哲学館」が創立された。
創立者井上円了は、安政5年(1858)越後国(新潟県)の寺に生まれた。
明治18年(1885)東京大学文学部哲学科を卒業し、2年後の明治20年(1887)9月16日、哲学諸科の教授を目的として私立学校「哲学館」を境内の一棟を借りて開校した。→ 河口慧海顕彰立像
哲学館では、授業以外に講義録を毎月3回発行して、現代の通信教育を行うなど哲学の普及につとめた。
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