坂本城跡は、滋賀県大津市下阪本にある。
坂本城は、元亀2年(1571)9月、比叡山延暦寺焼討ちの後、織田信長に滋賀郡の支配を命じられた明智光秀が築城した。
琵琶湖の水を引き入れ、まわりの小川を堀に利用した水城(みずじろ)形式の城で、日本で最初の石垣と瓦葺の天守を持つ城で、大天守と小天守があったとされる。
日本最古級の天守がそびえていた坂本城について、当時布教で日本にいたポルトガル人宣教師 ルイス・フロイスは、織田信長の安土城に次いで豪壮華麗な城と称賛している。
坂本城築城の目的は、山門(比叡山延暦寺)の監視だけでなく、彦根の佐和山城とともに、信長の領国美濃と京都とのルートの確保、水運の拠点とすることであった。
その後、天正10年(1582)6月の本能寺の変が起こり、明智光秀敗死後、娘婿明智秀満が坂本城に帰り、豊臣秀吉の家臣堀秀正と戦ったが、妻女、家臣ともに討ち死にし、城は焼失した。
その後、丹羽長秀によって再建され、秀吉臣下の杉原家次、浅野長吉と城主が変遷し、1586年に城主が大津城に移ったため廃城となった。
坂本城跡とされる地の南側に、坂本城跡公園(北大津湖岸緑地)があり、石碑とともに明智光秀の像が建てられている。
京阪電鉄石山坂本線浜大津駅からバスで下阪本下車徒歩4分。北大津湖岸緑地内に無料駐車場がある。→ 明智光秀ゆかりの地