旧跡 桜の渡し 石碑

旧跡 桜の渡し 石碑は、奈良県吉野町役場前にある。

石碑各面には、次のように刻されている。
旧跡 桜の渡し 是より東南二〇〇米のあたり
昭和六十一年丙寅歳七月
よしの山上り下りにうれしきは
  桜柳の渡しなりけり
    田山 花袋
町村合併三十年記念
  飯貝田螺庵主建

江戸時代には、吉野川北岸に紀州和歌山と伊勢山田を結ぶ高見越(たかみごえ)伊勢街道が通っていた。
しかし、街道の南には川幅広く流れる吉野川があり、川を渡らなければ吉野の地に入ることが出来なかった。
そのため、「吉野川四大渡し」「妹背の四雙(よんそう)」などと呼ばれた渡しが設けられていた。
四大渡しは、上流から、桜の渡し、柳の渡し、椿の渡し、檜の渡しと呼ばれ、現在では、桜橋、椿橋、千石橋が架かっている。
桜の渡しがあった場所には、桜橋が架けられ、桜橋から妹山、背山を望むことができる。→ 妹背山

本居宣長の「菅笠日記」には、次のように記されている。
吉野川ひまもなく浮かべる筏をおし分て、こなたの岸に船さし寄す、夕暮れならねば渡し守は早やともいはねど、みな急ぎのりぬ。
妹背の山いづれと問へば、河上のかたに、流れをへだててあひ向ひてま近く見ゆる山を、東なるは妹山、西なるは背山と教ふ(中略)。
妹背山 なき名もよしや吉野山 世に流れては それとこそ美しめ



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