妹背山(妹山 背山)

妹背山(妹山 背山)は、奈良県吉野町にある。
吉野川を挟んで右岸に妹山、左岸に背山が相対する。
妹山(いもやま)は、竜門川と津風呂(つぶろ)川が本流へ注ぐ中間地域、大字河原屋にある小孤立丘陵で円錐形の山容を示し、標高は260mである。
背山(せやま)は大字飯貝(いいがい)に属し、紀伊山脈からの支脈の末端で標高は272mである。

妹山は古来 大名持(おおなもち)の神の鎮座する山としてあつく崇敬され、太古以来斧を入れない原始的な妹山樹叢は、昭和3年に国の天然記念物に指定されている。→ 大名持神社

万葉集や古今和歌集で詠まれた「妹背山」を当地の山とする説があり、
「大和志料」は、「妹背山ノ位置ニ異説アリ 一ハ吉野ニアリ 一ハ紀伊ニアリ」として、吉野の妹背山が古今の歌によくかなうと記している。→ 背山 (紀伊) 船岡山 妹山・背山 万葉歌碑 (紀伊)

近松半二作の「妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)」は、人形浄瑠璃及び歌舞伎の演目で、妹背山の風景と、舞台中央に吉野川が設えられて、次のような義太夫節が語られる。
古への 神代の昔山跡の 国は都の始めにて 妹背の始め 山々の 中を流るゝ吉野川 塵も芥も花の山 げに世に遊ぶ歌人の 言の葉草の捨て所
妹山は太宰少弐国人の領地にて 川へ見越しの下館 背山の方は大判事清澄の領内 子息清舟いつぞやよりこゝに 勘気の山住居 (後略) 
(出典 新編日本古典文学全集77 浄瑠璃集) → 妹背山婦女庭訓ゆかりの地

本居宣長の「菅笠日記」には、次のように記されている。→ 旧跡 桜の渡し 石碑
よし野川、ひまもなく浮かべる筏をおし分て、こなたの岸に船さし寄す、夕暮れならねば渡し守は早やともいはねど、【伊勢物語に 渡し守はや船に乗れ日も暮れぬといふ云々】みな急ぎのりぬ。
妹背の山いづれと問へば、河上のかたに、流れをへだててあひ向ひてま近く見ゆる山を、東なるは妹山、西なるは背山と教ふ。されどまことに此名をおへる山は、紀の国にありて、うたがひもなきを。
かの 中におつる【古今恋五】吉野の川に思ひおぼれて、必ずここと定めしは、世のすき者のしわざなるべし。されど
妹背山 なき名もよしや吉野川 世に流れては それとこそ見め
(出典 本居宣長全集 第18巻)







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