補陀落山施無畏寺は、和歌山県有田郡湯浅町栖原にある真言宗御室派の寺院である。
本尊は千手観音である。
寛喜3年(1231)地頭の湯浅氏一族の湯浅景基(かげもと)が創建し、景基の従兄弟で華厳、真言宗を究めた明恵に寄進した。
寺の名称は、当地の白上山で修行した明恵が「生類をして畏れ無きを施す寺」として、殺生禁断の地となることを願って名付けたといわれる。
明恵は、承安3年(1173)に有田郡金屋町に生まれ、父母が亡くなった後、京都高雄の神護寺で真言、華厳を学んだ。
その後、23歳で故郷に帰り、白上山で修行をし、34歳で京都栂尾に高山寺を開き、華厳宗中興の祖といわれた。
施無畏寺は、室町時代初期に壮大な伽藍を誇ったが、羽柴秀吉の紀州攻めの兵火で堂宇を焼失し、江戸時代に徳川頼宜が再興した。
寺宝として、明恵とともに湯浅党や僧侶44名が署名し一宗同心を誓った紙本墨書藤原景基作置文一巻、紙本墨書高信作施入状を有しており、国の重要文化財に指定されている。
境内墓地内には、観応2年(1351)銘の石造宝篋印塔(県文化財)がある。
JR紀勢本線湯浅駅からバスで栖原下車、徒歩15分。山門東側奥に参拝者用の駐車場がある。