肥前島原 松平家供養塔

肥前島原 松平家供養塔は、和歌山県高野山奥の院32町北西にある。
其角句碑豊臣家墓所の間に位置する。
史跡金剛峯寺境内(奥院地区)大名墓総合調査報告書によると、当地墓所内には、大型五輪塔5基、中型五輪塔4基、小型五輪塔1基がある。
主な供養塔は次のとおりである。

 写真番号  供養者名  没年  法名  備考
 ① 松平主殿助 元和7年 賀屋源慶
大禅定門
 
 ② 肥前島原藩 二代藩主
松平 忠雄
享保21年 瑞光院殿
徳途源恭大居士
肥前島原藩 三代藩主
松平忠俔(ただみ)建立 
 ③ 三河深溝藩主
三河吉田藩 初代藩主
松平 忠利
寛永9年 壽松院殿
超山源越居士
長男の松平忠房建立 
 ④ 木下左兵衛御内儀 寛永14年 桂林院殿
月輪息窓大姉
松平主殿頭御息女
 ⑤ 松平主殿助家忠室
逆修
寛永5年 照光院殿陽山
貞春大姉
源家忠室 
 ⑥  松平外紀  寛永13年  長松院殿明窓
照鏡大禪定尼 
 
 ⑦ 三河吉田藩 二代藩主
肥前島原藩 初代藩主
松平 忠房(ただふさ) 
天文2年  興慶院殿
源通大居士 
肥前島原藩 三代藩主
松平忠俔建立 

肥前国島原藩松平深溝(ふこうず)家は、徳川家康と祖先を同じくした十四松平家の一つで、松平信光の七男忠景(ただかげ)の次男忠定(たださだ)を祖とする。
三河国額田郡深溝郷(現愛知県幸田町深溝)地方を領して、深溝松平氏と呼ばれた。
忠定の後、好景(よしかげ)、伊忠(これさだ)、家忠、忠利と続き、忠利(1582-1632)の嫡男 松平忠房(1619-1700)が、丹波福知山藩を経て、肥前島原藩初代藩主となった。
肥前島原藩松平家の墓所は、江戸や国許の島原でなく、本貫地の三河国本光寺にある。
松平深溝家初代、松平忠定が深溝に建立したと伝えられる本光寺には、初代から五代、十一代の墓所としての西御廟と、六代松平忠房から一九代までの墓所としての東御廟があり、平成26年(2014)に国の史跡に指定されている。



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