下総古河 土井家供養塔

下総古河 土井家供養塔は、和歌山県高野山奥の院29町石北西にある。
奥の院参道を進み、安芸浅野家供養塔(二番石)前を過ぎたところを西北側に登る斜面を上がり、約50m先にある。
史跡金剛峯寺境内(奥院地区)大名墓総合調査報告書によると、中型五輪塔4基、小型五輪塔1基、櫛型墓標1基がある。
古河藩関係の下記の各供養塔が確認できる。

 写真番号  供養者名  没年  法名  備考
 ① 下総古河藩2期四代藩主
大坂城代 老中
土井 利位(としつら)
嘉永元年
(1848)
簡廉院殿  雪の殿様
 ② 下総古河藩2期三代藩主
老中
土井 利厚(としあつ)
文化5年
(1822)
寛敬院  
 ③ 下総古河藩五代藩主
志摩鳥羽藩主
土井 利益(とします)
同夫人
正徳3年
(1713)
諦玄院殿
智光院殿
 
 ④ 下総古河藩二代藩主
土井 利隆(としたか)
貞享2年
(1685)
覚照院殿 施主
志摩鳥羽藩主
土井利益

古河(こが)藩は、徳川家康が江戸にはいると同時に入封した小笠原秀政にはじまり、寛永10年(1633)に土井利勝が古河藩主となり五代続いた。
その後、宝暦12年(1762)に土井利里(としさと)が九州唐津から移って2期目の土井家藩主が明治維新まで続いた。
土井利位(としつら)(1789-1848)は、三河刈谷藩主 土井利徳の4男として生まれた。
古河藩三代藩主 土井利厚は、嫡子 利広が早世したため、分家の三河刈谷藩から利位を養嗣子に迎えた。
文政5年(1822)利位は、古河藩主となり、藩学館の興隆に努めるとともに、家老の著名な蘭学者 鷹見泉石(たかみせんせき)と蘭学を修めた。
30年にわたって顕微鏡による雪の結晶の観察を続け、「雪華図説」を刊行して、「雪の殿様」とも呼ばれた。
天保5年(1834)には、大坂城代となり、大塩平八郎の乱を鎮定した。→ どんどろ大師 善福寺 「土井殿大師(どいどのだいし)」
その後、老中に就任して、天保の改革では、水野忠邦と対立し、忠邦失脚後は、老中首座となっている。

奥の院28町石西北には、下総古河藩主 土井利重供養塔がある。



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