下総佐倉 松平(形原)家供養塔は、和歌山県高野山奥の院34町石南西にある。
織田信長墓所の西側斜面上の段にあり、丹波篠山松平家供養塔に隣接している。
史跡金剛峯寺境内(奥院地区)大名墓総合調査報告書によると、当地墓所には中型五輪塔1基、小型五輪塔5基、角柱墓標1基があり、石鳥居には、「常立院」の扁額が架けられている。
中央の五輪塔地輪には、次のように刻されている。
下總佐倉城主松平紀伊守
四品源朝臣家信
爲常立院殿
(梵字)前紀刕大信
上譽露雪居士
施主孝子松平若狭守源朝臣康信
干時寛永十五戊寅天正月十四日建立
御宿坊 玉蔵院
奉行 青山七郎左右衛門
松平家信(1565-1638)は、松平家忠の子として生まれた。早くから徳川家康に仕え、天正18年徳川家康の関東入りの際、上総五井に5千石を与えられた。
元和4年(1618)に1万石に加増されて、三河形原(かたのはら)藩主となり、高槻藩を経て、佐倉藩へ移封された。
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