白髭神社 紫式部歌碑は、滋賀県高島市にある。
昭和63年(1988)4月に紫式部を顕彰し、高島町観光協会が建立した。
白髭神社の本殿北側の石段上に歌碑と説明の石碑がある。
「紫式部集」所収の和歌で、歌碑には、万葉仮名で次の詞書と和歌が刻されている。
近江の海にて三尾が崎といふ
所に綱引くを見て
みおの海に
綱引く民の
てまもなく
立ちゐにつけて
都恋しも
→ 「紫式部集」解読
東の石碑には、次のような説明がある。
この歌は、「源氏物語」の作者紫式部が、この地を通った時に詠んだものである。
平安時代の長徳二年(九九六)、越前の国司となった父 藤原為時に従って紫式部が京を発ったのは夏のことであった。
一行は逢坂山を越え、大津から船路にて湖西を通り越前に向った。
途中、高島の三尾崎(今の明神崎)の浜べで、漁をする人々の綱引く見慣れぬ光景に、都の生活を恋しく思い出して詠んだのが右の歌である。
その夜は勝野津に泊り、翌日塩津から陸路越前に下った。
紫式部にとって、この長旅は生涯でただ一度の体験となった。
彼女は越前の国府(武生市)に一年ばかり滞在したが、翌年の秋、単身京に帰った。→ 紫式部ゆかりの地
ここに紫式部の若き日を偲び、当白髭神社の境内に歌碑を建て永く後代に顕彰するものである。
なお碑文は「陽明文庫本」に依り記した。
昭和六十三年四月吉日 建立
高島町観光協会
紫式部の越前往還の折りの和歌
新潮日本古典集成「紫式部日記 紫式部集」では、「紫式部の越前往還の折り」の和歌として、次のように紹介されている。
番号 | 原 文 | 現 代 語 訳 | 備 考 |
1 | 近江の海にて、三尾が崎といふ所に、 網引くを見て |
白髭神社 紫式部歌碑 |
|
三尾の海に 網引く民の てまもなく 立ち居につけて 都恋しも |
三尾が崎で網を引く漁民が、 手を休めるひまもなく、 立ったりしゃがんだりして 働いているのを見るにつけて、都が恋しい。 |
||
2 | また、磯の浜に、鶴の声々に鳴くを | ||
磯がくれ おなじ心に たづぞ鳴く なが思ひ出づる 人やたれぞも |
磯の浜のものかげで、 私と同じようにせつなさそうに鶴が鳴いている。 一体お前の思い出しているのは誰なのか。 |
||
3 | 夕立しぬべしとて、 空の曇りてひらめくに |
||
かきくもり 夕立つ波の あらければ 浮きたる舟ぞ しづ心なき |
空一面が暗くなり、夕立を呼ぶ波が荒いので、 その波に浮いている舟は不安なことだ。 |
||
4 | 塩津山といふ道のいとしげきを、 賤(しず)の男(を)の あやしきさまどもして、 「なほからき道なりや」といふを聞きて |
||
知りぬらむ ゆききにならす 塩津山 よにふる道は からきものぞと |
お前たちもわかったでしょう。 いつも往き来して歩き馴れている塩津山も、 世渡りの道としてはつらいものだということが。 |
||
5 | みづうみに、おいつ島といふ洲崎に向ひて、 わらはべの浦といふ入海のをかしきを、 口ずさみに |
紫式部歌碑 (野洲市あやめ浜) 百々神社 紫式部歌碑 |
|
おいつ島 島守る神や いさむらむ 波も騒がぬ わらはべの浦 |
おいつ島を守っている神様が、 静かにするよういさめたためだろうか、 わらわべの浦は波も立たずきれいだことよ |
TOP PAGE 観光カレンダー
TOP PAGE 观光最佳时期