徳川家光正室 鷹司孝子供養塔

徳川家光正室 鷹司孝子供養塔は、和歌山県高野山奥の院30町石北西にある。
崇源院供養塔(一番石塔)の北斜面を更に30m登った先にある。
玉垣と鳥居の一部が残っている状態で、「本理院」の扁額が下に置かれている。
五輪塔の地輪には、次のように刻されている。
延寶二甲寅天
     本理院殿
(梵字) 照誉圓光徹心
     大禅定尼
六月初八日

鷹司孝子(たかつかさたかこ)(1602-1674)は、徳川幕府三代将軍 徳川家光の正室で、墓所は、江戸小石川伝通院にある。
徳川将軍家の菩提寺は、上野の寛永寺と芝の増上寺が知られるが、両寺が将軍と正室の墓所であるのに対して、伝通院は、一般的には側室と夭折子女の墓所である。
将軍正室(御台所)の鷹司孝子墓所が、伝通院にある理由について、秋元茂陽氏は江戸大名墓総覧で次のように記している。

よく十四代家茂室静寛院を悲劇の女性というが、三代家光時代に完全な幕府の基礎は固まり家臣である諸大名からは正室を迎えられず
朝廷対策と併せて京都の宮家か五摂家から正室を迎えることが慣例となり、
その初めが五摂家の鷹司家から嫁した本理院殿である。
本理院殿は大変嫉妬心が強く、家光と婚姻後すぐ中の丸に別居したことが
二代室崇源院殿の墓地である増上寺に墓所を建造しなかった理由と思われる。



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