建勲神社は、京都市北区船岡山東南側にある。
祭神は織田信長で、信忠を合祀している。
社名は、「たけいさおじんじゃ」で、俗称 「けんくんさん」と呼ばれている。
船岡山は標高112メートル(比高45m)、周囲1300m、面積2万5千坪の優美な小山で、平安京造営でもこの山が都づくりの基準点となり、真南に大極殿、朱雀大路が設計された。
桃山時代に豊臣秀吉が織田信長の冥福を祈るため、この地に天正寺を建立しようとしたが、計画半ばで挫折し、その寺地は大半が大徳寺に帰した。
明治2年(1869)に明治天皇が織田信長の偉勲に対して神社創建を宣下し、出羽天童藩主 織田信敏(織田信長の次男 信雄の子孫)の東京邸宅と天童城跡に社殿が造営された。
1875年に別格官幣社に列せられ、織田信長が葬られた大徳寺(摠見院(総見院))の南の船岡山に社殿の造営が命ぜられた。
明治13年(1880)船岡山の山麓に社殿が完成、東京から遷座し、さらに1910年中腹の現社地に遷座した。
例祭は7月1日、特殊神事として信長の入京を記念し武者行列を従え渡御する船岡大祭(10月19日)がある。
宝物として、国の重要文化財に指定されている信長の義元左文字刀、信長公記(太田牛一自作本)などがある。
義元左文字刀には、「永禄三年五月十九日義元討捕刻彼所持刀織田尾張守信長」との金象嵌があり、信長軍が今川義元を討ち取った桶狭間の戦いの年月日が彫られている。
教育社新書の「信長公記(上)」には、毛利新介(良勝)が今川義元を切り伏せ首を取ったことと、義元がふだん差していた秘蔵の名刀 左文字の刀(筑前の刀工、左衛門三郎安吉の刀)を召しあげて信長公が差していた旨が書かれている。
京都地下鉄北大路駅からバスで船岡山下車、徒歩10分。
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