雲水山 東北院は、京都市にある時宗の寺院である。
寺伝によると東北院は、桓武天皇が遷都の時、天下国土の守護神について伝教大師に尋ねられたところ、大師が大弁財天女が良いでしょうと答えたので、勅により彫刻し、
王城開闢の地祭(ちまつり)の本尊として、禁裏の艮(うしとら)(表鬼門)に大弁財天を祀ったという。
その後、長元3年(1030)に上東門院 藤原彰子が、比叡山の慶命大僧正を開山として、西京極の東に「雲水山東北御所法成寺」と勅称を得て寺領を下賜された。
平安時代に内裏が焼失した際、仮皇居などに使われ、元禄5年(1692)焼失より、元禄6年(1693)に現在の地に移った。
明和7年(1770)安津宮御所を寄付されたのが、現在の建物である。
軒端梅(のきばのうめ) かつて和泉式部がこの寺の方丈の傍らに閑居して、白梅を眺め、「軒端梅」あるいは「鶯宿梅」と呼ばれる。 → 誠心院
雲水井 庭の池水は雲水(くもみず)と呼ばれ、弁財天守護の水であるから、漱ぐと悪鬼邪魅(あっきじゃみ)の災を払うといわれる。 → 雲水の井
世阿弥作の謡曲「東北(とうぼく)」は、「軒端の梅」とも呼ばれており、山門横に次の案内板が建てられている。
東北院と軒端の梅
当寺は、王朝時代に現在の今出川から荒神口に至る西側付近にあった関白藤原道長の法成寺の東北の地に建てられていたが、一条天皇中宮 上東門院藤原彰子の住まいであった。
その院内の小堂に、彰子に仕える和泉式部が住んでいた。それが軒端梅である。
現在の東北院は元禄年間に、この地に再興されたものといわれ、本堂前の軒端の梅は謡曲「東北」に因んで植えられたものである。
根の周囲二米、樹高七米、地上部一、七米で三支幹に分れ、心材は著しく腐朽しているが、一本だけは元気、白色単弁の花を咲かせ、見事な沢山の実を結ぶ。
京都謡曲史跡保存会
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